先日のラグビーワールドカップ、日本×スコットランド戦について書かれたガーデイアン紙の記事の翻訳です(Twitterより) 黙祷は、1分にも満たない、短いものだった。しかしそこには、過去に例を見ない状況で開催される、この試合に対する、相反する感情の渦巻き、衝突が含まれていた。台風がつい数時間前に過ぎ去り、スタジアムの周りは洪水であふれ、救出作業も終わっていなければ、修復作業など始まってすらいない。 その黙祷が、一体誰に向かって、何人の犠牲者へ捧げられたのかは、誰も知る由はなかった。被害者の数は、未だに確定していなかったのだから。明け方は4名とされていた死傷者数は9名へ、試合開始時には24名に、ハーフタイムに26名、試合が終わり少し経つ頃には28名へと増えていった。 そんな状況で、彼らは試合を開催するべきだったか。あなたは疑問に思っただろう。ラグビー協会はそのことを日曜早朝に話し合い、日本人の組織委員に判断を委ねることを決定した。なぜこんな状況でスポーツをするのか。なぜスポーツを見るのか。 未だに多くの人が行方不明で、堤防は壊れ、川は溢れ、会場の横浜から東へ16マイルしか離れていない川崎では100万人が避難し、30マイル北に位置する相模原では、土砂災害でなくなった人の、正確な数さえ把握できていない状況で。 災害への一種の清涼剤としてかも、もしかすると、日常を取り戻すためかも、台風に対する挑戦かもしれない。いや、それ以上、「私たちは今生きていて、少なくとも今ここにあるものは楽しむことを決意した」と言う極めて重要な意思表示の1つとしてかもしれない。彼らは試合の開催を決めた。 ホスト国としてのプライドもあっただろうが、会議に出席した委員会幹部は、「世界に向けて、自分たちはできると言うことを証明したい」というのが、開催を決定した最たる理由だと、繰り返し主張した。 この会場の被害が甚大でなかった理由の一つは、鶴見川から溢れ出す水を、建物の下へと流す貯水設備の上にスタジアムが建っているからだった。スタジアム自体が街の災害対策設備の支柱なのだ。そしてこの試合で、日産スタジアムは、街の『精神的』支柱にもなった。 組織委員たちは、台風が去ったら一刻も早く動き出せるよう、土曜の夜はスタジアムに泊まり込んだ。明け方には整備班が現地入りし更衣室から水を吸い出し、消防隊は全ての機械設備の点検を3度行い、ピッチに流れ込んだ泥やゴミをホースで一掃した 同時に、組織委員会は政府や地方自治体と協力し、水道局、道路局、バス会社や鉄道会社などの各種交通機関と連絡を取り、複雑な課題を解決していった。 日本では、このワールドカップにおける『おもてなし』とは何か、と言う議論が活発になされてきた。私も正確に翻訳することはできないが、この国で4週間を過ごして、漠然とだが理解したかもしれない。それは、客人を喜ばせるために全力を、いや、何かそれ以上を尽くすということだ しかし、彼らの『おもてなし』は、私たちの予想をはるかに上回っていた。試合前、多くの人が全くの勘違いをしていたのは、そのせいかもしれない 「日本人はみんな、この試合が中止になり、過去に勝利したことのないスコットランドとポイントを分け合うことを望んでいる」という勘違いを。中には、「日本は故意にスコットランドの妨害をしている」と言う、壮大な陰謀論を唱える者までいた。 スコットランドラグビー協会の最高責任者、マーク・ドッドソンも、完全な勘違いをしていた。怒りに任せて、『巻き添え被害』(ポイントを分け合うこと)に合えば法的措置を検討しているなどと口を滑らせた。これは、日本人たちがどう覚悟を決めたかのプロセスに対する、恥ずべきミスリーディングだ。 黙祷に続いて、日本の国歌、君が代が流れた。日本人はこの国歌に複雑な思いを抱いており、歌わない人もいる。そのため大会中、ファンたちに国歌斉唱を促すキャンペーンが開かれている。この日、会場の多くの人が参加した国歌斉唱は、感動的で、荘厳だった。 選手を鼓舞する歌声が、大きく大きく、街中に響き渡るほど広がっていった。あの瞬間、あなたは思い知っただろう、スコットランドが対面しているのは、ラグビー文化を持たない極東の島国ではなく、強大なサポーターを持つ、己の真価を世界に証明しようと言う覚悟の決まったチームだということを。 前半の30分間、日本は魔法のような、激しく、獰猛で、集中したラグビーを見せた。次に対戦する南アフリカも含め、トーナメントに残った、全てのチームを凌駕するほどの。スコットランドも善戦したが、より頑強で、より鋭く、より俊敏であった日本に、完全に圧倒された。 日本のラグビーファンたちは、今なら何だってできる、どこが相手だって倒せると信じているだろう。そして、日曜日の夜に彼らが偉業を成し遂げた今、日本人だけではなく世界中の誰しもが、同じように思っている。 元記事 #
by kounoproclimb
| 2019-10-17 10:30
大袈裟太郎的香港最前線ルポ❶ 市民たちはあきらかに若者が中心で、何人かの年齢を聞くと、15歳という。 逃げ惑う群衆に逆らい最前線に近づくと、僕も催涙ガスを浴びてしまった。 救護班が塩水でうがいさせてくれた。 警察が催涙弾を撃ちながら、徐々に近づいてくる。 日が暮れると、会社帰りの者や作業着姿の者も多く合流し、 警察もこれ以上は手が出せないようだ。 隣で建設中の高層ビルの足場に香港特有の竹が使われていた。 香港を象徴する摩天楼の圧倒的なきらめきのなかで、 周囲では疲れ果てた黒づくめの若者たちが路上に寝転がり始めた。 民主主義を守りたい、人々の自由を守りたい。 僕は彼らとがっちり握手を交わし、コンクリートの上に座り込んだ。 その日は夜が明け近くまで、香港警察との対峙が続いた。 香港行政府はこの日の市民の行動を暴動と認定したが、 香港の若者たちのこの驚くほど純粋な行動がのちの成果につながることを、 ※100万人デモから200万人デモ、そして法案の事実上の撤回に至る香港の煮えたぎる一週間を振り返っていきます。 大袈裟太郎的香港最前線ルポ❷ 立法会周辺は警察が完全に封鎖し厳しく規制していた。 午前、立法会へ向かう立体回廊では、バリケードを挟んで市民と警察隊の対峙が続いていた。 この日も立法会の審議は中止になったが、現場は一触即発という雰囲気だった。 右か左かで考える時代はもうとっくに終わっている。 LEEJと駄目元で香港外国人記者クラブの門を叩き、過去の記事や資料などを提出し、どうにかこうにか会員入りを許可された。 また、この3年間、高江、辺野古で「お前はメディアじゃない!」と沖縄県警東浜警視に名指しされながら散々、排除されてきた僕にとっても、「日本は私を認めなかったが、世界は私を認めた。」 外国人記者クラブの中は、極東の言論の自由を守ってきたという伝統と誇りにあふれていた。壁にはベトナム戦争や天安門事件の写真が並んでいた。僕らが教科書で見てきた歴史的な写真たちも多くはここから配信されたものなのだった。 まあ、上等上等と、LEEJと笑いあった。 そして香港当局が昨日の市民の行動を暴動と認定したこと、 シェルターのような外国人記者クラブを出て、 さっきより張り紙が爆発的に増えていた。 そして人混みの中に入ると、僕のiphoneに次々にairdropで次のデモの予定が送られてきた。 バリケードを挟み警官隊と対峙する市民も昼間より4倍か5倍に増えていた。 マイナーコードが物悲しく響く、悲痛なメロディだった。 この日から抗議の内容は廃案に加え、香港警察の暴力への追求を 「弾圧は抵抗を呼び、抵抗は友を呼ぶ」 より強い抵抗を決意した香港市民たちと、強行姿勢を変えぬ香港警察。 追い詰められた彼ら彼女らの悲痛な表情とメロディが、 僕は最悪の事態に備え、自分の位置情報が常にわかるようにLEEJと、沖縄にいる数名の友人たちにシェアした。 SNSの心もとない命綱を、僕はこの夜、香港から沖縄へつなげたのだった。 #反送中 #香港 #hongkong #NoExtradictionToChina #HongKongProtests 大袈裟太郎的香港最前線ルポ❸ 市民たちは自分の位置情報が当局に把握されることを警戒し、電子決済をやめ現金を持ち、オクトパースカード(JRでいうsuika)も使わず切符で地下鉄に乗った。 14日、緊張状態は続くものの、街は表面的な平穏を取り戻していた。 「反対派ばかりではなく、賛成派の声も聞け」沖縄にいると常にネットに寄せられるこの手のリプライが、香港では一切来ないことに気づいた。やはり日頃、ウヨ様諸君が言っている「公平性」など単なる欺瞞に過ぎなかったようだ。 それでもやはり、沖縄でもそうしているように、法案に賛成している人の意見を聞きたいと思い、街を歩いた。 タクシードライバーの60代の男性は、ゴリゴリの法案賛成派だった。「中国政府はこの20年で経済を大発展させた。すごいじゃないか!昔はみんなろくに飯も食えなかったんだ。今の中国のシステムは良いよ。多少、自由が減っても、経済が発展すればいいいじゃないか。私は中国政府は怖くない。怖いのは今の香港の若者だ。こないだのデモ?100万人とかいうけど、マスコミは偏ってるんだよ。本当は50万人ぐらいしかいなかったはずだ」 「いや、50万人でもすごいだろ、、」と心の中でツッコミながら、僕が感じたのは圧倒的なデジャブ感だった。 すべて沖縄で聞いたことのある話ばかりだった。 別の男性にも話を聞いた。 これも沖縄で聞く辺野古容認派の意見とかなり重なって見えた。 まったく同じだ、、、 しかしまさかアメリカと中国は同じマニュアルを共有しないだろう?? 先ほどの、親中派香港人たちの話を思い出してほしい。 その考えに行き着くと、鳥肌がたった。 僕の中で沖縄と香港は完全につながった。 そして、僕はたとえ相手がアメリカであろうと、中国だろうと、日本だろうと、個人の権利対国家の権力ならば、常に個人たちの側に在り続けることを肚に決めたのだった。 香港警察の横で30名前後の小規模な集会に出くわした。 そこを切り裂くように、ひとりの若い女性が親指を下げながら通り過ぎた。黒いワンピースのなんともかっこ良い後ろ姿だった。 デモを主催した若者たちは、この日、香港警察へ赴き、12日の暴動認定の取り消しと、警察の暴力の謝罪、逮捕された11名の釈放を要求したが、交渉は決裂、香港警察はゼロ回答だった。 香港立法会への立体回廊にはこの夜も切ないメロディアが響いていた。近くのケンタッキーは黒い若者で埋め尽くされ、店員はものすごい勢いでチキンを揚げ続けていた。 僕はメディアパスを使い、立法会側に入り、ガンガン写真を撮りまくっていると、ものの3分で香港警察に囲まれた。 立法会周辺は深夜になっても、黒の若者たちが途絶えずに断続的に(ピクニック)をしていた。朝までいた者もいるだろう。 「ジュリアン・アサンジの引き渡しで香港は欧米から見放された」というウワサや、「16日は香港島自体が封鎖される」というウワサも飛び交っていた。 夜景に照らされながらLEEJが16日に関する、ある仮説を言った。 せっかくだから、と乗ってみた九龍へ向かうフェリーの中で、 大袈裟太郎的香港最前線ルポ❹ 外国人記者クラブのカフェで映像の編集作業などをしていた。 そう「天安門」その3文字がこの数日、誰の頭にもずっと居座っていただろう。 実弾の届かない遠い場所から、現場にいる人間に対してよくもまあそんな雑なことを言えたもんだ。 この日からホテルを現場立法会の徒歩圏に取り直した。 メキシコ訛りのスペイン語を使えるLEEJはスペインの通信社とやりとりして映像を提供していた。どうやら、香港のカメラマンたちが「仕事なんかしてる場合じゃない!」とデモに参加しているため、その手の需要が海外からあるそうだ。香港の報道はまだ実は日本より機能している感じていたが、活き活きしすぎてこんな事態も発生していた。 SNSに速報が入る。 立法会への回廊では今日も、市民たちが絶え間なく賛美歌を歌っていた。 そこで沖縄からのもうひとりの友人、朝日と合流した。 彼との出会いは昨年4月、苛烈を極めた辺野古ゲート前500人行動だった。 沖縄と香港、共通点ばかりあげてきたが唯一真逆なのは、年齢層だ。 話しかけると、もともとTwitterでつながっていたそうで、ハンドルネームを言われると、ああ!きみかあ!!という感じですぐに意気投合した。 それから彼は県民投票の会で署名集めをし、デニーさんの知事選では青年局にいた。元山仁士郎のハンスト現場ではほとんど寝ずに仁士郎を支えていた。 頼んでいた煙草数箱を朝日から受け取った。 緊張状態の異国の地で額に汗してシャッターを切る朝日の横顔に、 折しもどこかの新聞が、「沖縄と香港の政治状況はまったく違う」というような慌てた記事を出し、ネトウヨたちは「香港はまともな選挙が行われないが沖縄では行われている」と鬼の首をとったように騒いでいた。 稲嶺進さんの名護市長選なんて人口6万人の市の選挙に首相官邸が何億もの金と人材をつぎ込んでねじ伏せたんだ。 やはり民主主義を破壊しようとしている点で、中国政府も日本政府も同質ではないか? さらに言えば、コリアンルーツで日本生まれ日本育ちのLEEJには、生まれてこの方、選挙権というものが与えられたことがない。 香港市民たちの歌う賛美歌のなか、沖縄で出会った僕らは再会に握手した。ルパンに次元、そこに五右衛門が合流したような心強さだった。明日のことは不安で仕方なかったが、とりあえず大丈夫だ。 その時は考えもしなかったが、僕らは三者三様、異なるルーツで、まして自分だけが加害側の属性だった。 再会を確かめ合う僕らの元に最悪のニュースが飛び込んできた。 ビルから落ちた抗議者が死んだ。 さっきのビルだ、、な、、、僕はLEEJと顔を見合わせた。 「え、それって、、、」朝日が絶句している。 朝日のカメラには死の直前のその抗議者の姿が映し出されていた。 情報が錯綜していた。 35歳男性。その人は僕と同世代だった。 時刻は林鄭月娥の延期会見の1時間後だった。 まして、そこはビルの4階ほどの場所だ。 僕のSNSに香港市民からメッセージか寄せられた。 「香港人です。若者が柵を乗り越えて飛び降りようとした時、消防士が捕まろうとして服が脱けて、それで若者が転落したんです…… さらに別のツイートには、柵にしがみつく彼の姿がはっきりと写っていた。https://twitter.com/jasonyng/status/1139914117601345538 彼は最後の瞬間まで生きようとしていた。 そんな彼の死を自殺と片付けることは僕にはとてもできない。 香港の未来を変えようとした男が、このタイミングで死ぬはずがないんだ。 あの「3文字」がまた頭をよぎる。深い深い先の見えない霧の中へ、いよいよ歩いていくような気分だった。しかし、街は不気味なほどに静かだった。 すべては明日。明日決まる。今夜も立法会周辺にはピクニックの若者たちが集っていた。 「絶対、無理しない。熱くならない。危なくなったらすぐ逃げる」 ホテルに帰ると、ツインのはずがなぜか手違いでダブルベットだった。 そんなこと気にならないぐらい、すぐに眠りに落ちた。 疲れ果てていたんだ。 通信1418 #
by kounoproclimb
| 2019-07-03 10:23
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by kounoproclimb
| 2019-02-06 12:19
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*自己紹介 フリークライミングを始めて約20年、新婚旅行にオーストラリアのMtアラプリーズにいってから海外のクライミングに目覚める。18年間まともなサラリーマンとして勤めた会社を辞めて、大阪の某ジムでインストラクターとして勤務した後、独立。 現在はボラーレ・エスカラーダ店長。河野アウトドアスクール主宰 *スポンサード パタゴニア・プロパーチェス *好きなメーカー パタゴニア、TNF、 スポルテイバ、イボルブ、 天龍力量、BD、PETZL, アーキテリクス等・・・ まめおさんのブログ Mr ビーンズのマメマメ日記 古くからの友人です RAPUNZEL 山井さんのblog no climb no life ニューさんのブログ NEWくらいま~ 岩場で知り合った楽しい クラブ ZCC 高梁市周辺のクライマーズネットワーク TC-NET フリークライミングは、本質的に危険を伴うスポーツです。安全にクライミングを楽しむためには、人工壁、自然壁を問わず、経験をつんだ指導者のもとで適切な技術を習得する必要があります。 フォロー中のブログ
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