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空白の五マイル

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学生のとき、まともに勉強してなかったので、山の名前は無駄に知っていても
世界地理にはさっぱり疎い。
しかし、今は便利になったものでWebで少し調べればたいていの事が解る。
必要、または興味が湧いたときにしっかり勉強すればいいのだと思う。
本書は、ツァンポ渓谷の歴史から時系列できっちり解説されているので、解りやすい。


探検の紀行文は、かなり作者の力量があっても、最後まで読破出来たためしがない。どうしても文章が単調になってしまうのと、小説と違い、そんなに面白いことが次から次と起こるわけがないからだ。
筆者は1998年、2002~2003年と2009年の3回、現地入りしている。
特に*2008年のチベット問題の後、無許可で潜入した第2部は圧巻である。
出来ればマスコミが誤訳したチベット暴動という言葉はそのまま使ってほしくなかったが・・・・・

この本の舞台になっているヤルツァンポ川は、ネパールの北側から始まって、チベット高原を横断しヒマラヤ山脈を大きく迂回した後180度曲がり南下、バングラデシュでガンジス川と合流し世界最大のデルタ地帯を形成し、ベンガル湾へ注ぐ河川である。

総流量はあのグランドキャニオンをつくったコロラド川の2倍、最大高低差5000Mの谷にインド洋の肥沃な風が流れ込むため、中国で発見されている植物の三分の二がここに集中している。
中国がここを世界最大の観光地として開発しようと企てているという噂も本当かもしれない。

ただ下の地図では、ヤルツァンポという名前は載っていない。
(この地図ではブラフマプトラ川「英名」と表記されている。ヤルツァンポはチベット名である)
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内容紹介
第8回開高健ノンフィクション賞受賞作!

チベットの奥地にツアンポー峡谷とよばれる世界最大の峡谷がある。この峡谷は一八世紀から「謎の川」と呼ばれ、長い間、探検家や登山家の挑戦の対象となってきた。チベットの母なる川であるツアンポー川は、ヒマラヤ山脈の峡谷地帯で姿を消した後いったいどこに流れるのか、昔はそれが分からなかった。その謎が解かれた後もツアンポー峡谷の奥地には巨大な滝があると噂され、その伝説に魅せられた多くの探検家が、この場所に足を運んだ。

早稲田大学探検部に所属していた私は大学四年生の時、たまたま手に取った一冊の本がきっかけでこの峡谷の存在を知った。そして一九二四年に英国のフランク・キングドン=ウオードによる探検以降、ツアンポー峡谷に残された地理的空白部の踏査が一向に進んでいないことを知った。キングドン=ウオードの探検はほとんど完璧に近く、彼の探検によりこの峡谷部に残された空白部はもはや五マイル、約八キロしかないといわれていた。しかし残されたこの五マイルに、ひょっとしたら幻とされた大滝が実在するかもしれない。キングドン=ウオードの残したこの「空白の五マイル」は、探検が探検であった時代の舞台が現代まで残されている、おそらく世界で最後の場所だった。私は空白の五マイルを含めたツアンポー峡谷の核心部をすべて探検しようと心に決め、一九九八年に部の仲間と一緒にツアンポー峡谷に向かった。

空白の五マイルを目指した探検家は私だけではなかった。とりわけ米国の探検家たちは一九九〇年代以降、精力的にツアンポー峡谷に足を運び成果をあげてきた。一九九八年には探検家イアン・ベイカーの隊が、ある大きな発見も成し遂げていた。米国の探検家に後れをとった私は二〇〇二年冬、もう一度ツアンポー峡谷を目指すことに決めた。米国の探検家も行けなかった空白部の最も奥地に入りこもうと思ったのだ。しかも今度は無許可、おまけに単独だった。この旅で私は何度か危うく死にそうな目にあったが、それでも執拗に峡谷の奥地に何度も足をのばし、伝説的未探検地とよばれた空白の五マイルのほとんどを踏査することに成功した。

それから七年が経った二〇〇九年冬、私は再びツアンポー峡谷を目指すことにした。まだやり残したことがある、そう思い、私は前年に新聞社を辞め、自らの人生を賭けた探検に出発した。しかし現地に入ると七年前には考えられなかったことが次々とおこり、旅はいささかスリリングなものとなった。
内容(「BOOK」データベースより)

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by kounoproclimb | 2011-01-14 17:40
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