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Krieg

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僕のお気に入りのチョークバック・・・・・

これは昨日入荷した新作です。














EOS KISS DIGITAL +SIGMA 24mm F1.8
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by kounoproclimb | 2007-08-31 09:01 | その他

A70

毎日のように、ザックに入れて持ち歩いていたデジカメがついに壊れた。
かなり、使い込んでいるので半分諦めていたが キャノンのホームページで調べてみたら
どうもリコールがかかっているらしい。

対象製品を、とりわけ高温多湿環境下で保管、あるいは使用した場合、製品に搭載されたCCD内部の配線接合箇所が外れる場合があることが確認されました。

サービスセンターに持っていくと日数はかかるけど無償修理しますという~

つづく
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by kounoproclimb | 2007-08-30 22:34 | その他

Blind Sight

a0032559_11255359.jpg十三の第七藝術劇場で見てきました。

この映画のことは全然知らず、ある日ジムの休憩室の机の上にチラシがたくさん積んでありました。
ただ、ハンデイキャップを持った子ども達がヒマラヤの高峰にチャレンジするというだけの映画なら見に行く気はありませんでした。
「何故、頂上を目指すのか?」子ども達にこの山を登らせることが本当に意味があるのか?」
何回も何回も何回も・・・・・・・・・キャラバンの間中、議論が繰り返されます。
そして、意外なラスト・・・・・・
今度は見ている私たちにとって「あなたの頂上って何ですか?」
この映画は問いかけてきます。



悲しいことにチベットでは、盲目の人は前世の悪行が原因で悪魔に取り憑かれているという古くからの言い伝えがあり、盲人の多くはひどく差別的な扱いを受けてきた。そして盲目の子供たちは、親からも社会からも拒絶されるという悲しい現実に直面していた。そんな子供たちに救いの手を差し伸べたのは、自身も盲目のドイツ人教育者サブリエ・テンバーケン。チベットへの入国に難色を示していた中国政府当局の反対を押し切って単身チベットに渡った彼女はチベットで初の盲人のための学校を設立する。数年後、盲人として史上初めてエベレスト登頂に成功したアメリカ人登山家、エリック・ヴァイエンマイヤーに感銘を受けたサブリエと子供たちは、登山のワークショップを開いてもらう為に彼を学校へと招待する。そのことがきっかけで、やがてエリックは子供たちにエベレストの北側、標高7000メートルのラクパリを目指すことを提案する。子供たちのとてつもない挑戦が始まった。

サブリエ・テンバーケン
12歳で視力を失い、盲目は障害ではなく、性格的特性だと教えられて育った。その結果、サブリエは地球上で遠隔の地と言われている場所において、盲人に対する考え方を完全に覆すことに成功した。 チベット初の盲学校と活動団体である “Braille Without Borders(国境なき点字)”と立ち上げる。この画期的な活動力は、発展途上国における視覚障害者用の教育施設の設立のモデルとして国際的に受け入れられるようになる。
各国の政府は、自国に同じような学校を設立してほしいと依頼をしており、現在はインドのケララ州で新しい学校の設立に向けて準備を進めている。
彼女の功績は世界的に賞賛されており、2004年はヨーロッパとアジアのタイム誌で「ヒーロー・オブ・ザ・イヤー」として特集が組まれ、2005年にはノーベル平和賞にノミネートされ、世界経済協議会ではヤング・グローバル・リーダーに選出され、オープラ・ウィンフリーの「オープラが紹介したい8人の女性」に選ばれた。
2006年8月には、マザーテレサ賞を2つ受賞、ひとつは彼女自身、そしてもうひとつは「国境なき点字」に授与され、ひとりの女性が同じ年に2回受賞する初の快挙を成し遂げた。

エリック・ヴァイエンマイヤー

2001年5月25日、エリック・ヴァイエンマイヤーは世界最高峰のエベレスト登頂に成功した初の盲人クライマーとなった。7年越しで7大陸の7つの最高峰に登るという偉業を達成。今までに、この偉業を達成できたのは150人、さらにその中で盲目なのはエリックのみ。 12歳で視力を失ってから、間もなく、エリックは交通事故で母親を失う。元海兵であるエリックの父親は、この困難な時期を乗り越えるために、3人のティーンエイジャーの息子たちを連れて世界中の山を登る旅行を計画。訪問した国は南米、インド、そしてネパール。最初は様々な困難に直面したがエリックだったが、忍耐強く活動を続け、現在は最もリスペクトされるアスリートとなった。登山に加え、スカイダイビング、長距離サイクリング、スキー、パラグライダー、マラソンなど数多くのスポーツに参加している。 エリックの超人的な偉業は、数多くのメディアで取り上げられタイム誌、スポーツ・イラストレーテッド誌、ピープル誌、メンズ・ジャーナル誌などの表紙も飾っている。最近の調査では、「アメリカで最もインスピレーションを与える20人」に選ばれた。
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by kounoproclimb | 2007-08-25 01:46

災害ドクター 世界を行く

a0032559_10521524.jpg先日紹介した「感謝されない医者」の著者 金田正樹さんは本当は災害救援医療が専門である。

とにかく圧巻である。

読み進むうちに大国のエゴと戦争という名の狂気以外に、
ふつふつと怒りが湧いてきた。

この国の貧困な政治に・・・・・・

1992年6月に成立した悪名高いPKO法
この法律は湾岸戦争を契機に日本が積極的に国連の平和協力活動が出来るように
自衛隊の海外援助協力を前提として作られた。この中に「人道的な国際救援活動」が盛り込まれたため論議の的となった。それまであった国際緊急救助法とどう違うのかという質問に政府答弁は自然災害は国際緊急救助隊で、紛争に起因する難民救済は自衛隊でと応えたため、医師達は自由に動けなくなってしまった。

国際緊急救助隊は創立以来30数回海外派遣をして実績を積み上げてきたのにそれ以来、活動の場を狭められてしまったのである。


出版社/著者からの内容紹介
災害の苦難にあえぐ人々を「一人でも多く救いたい」と奮闘してきた熱血ドクターの17年間のすさまじい軌跡。

内容(「BOOK」データベースより)
アフガン内戦、湾岸戦争、メキシコ・インド大地震―日本における「国際緊急援助隊」の第一号となった医師が、大災害に見舞われた世界各地の人びとと向かい合い、その救助活動に尽力した十七年間の汗と涙の体験記。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
金田 正樹
1946年、秋田県生まれ。1971年、岩手医科大学卒業。秋田大、関東逓信病院、聖マリアンナ医科大東横病院整形外科を経て、現在は向島リハビリクリニックセンター長。1983年、国際緊急援助隊の第一号医師となり、1985年のメキシコ地震を皮切りに、世界各地の災害援助に尽力している。国際緊急援助隊支援委員、文部科学省登山研修所専門調査員、日本集団災害医学会評議委員、NGO・HuMA理事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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by kounoproclimb | 2007-08-22 10:31 | その他

小川山2007

今夏も1週間ほど小川山に行ってきた。

関西や普段顔をあわせている中四国の仲間だけでなく、ココで知り合った人達と毎晩、楽しい集いが・・・・・

急遽、配布されたフォークソングの歌詞集を一生懸命見いる人たち・・・・・
そらでうたえるかどうかでみんなの世代が分かる・・・・
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処で初日のクライミングでマントルを返すときに左肩を痛めてしまった。
昔、右肩を痛めてから常に右手を庇い、字を書いたり食事以外は全て左手を使うように
矯正してきたのでこれはいたい・・・・・
もう、俺のクライミング人生も終わりかな?

落ち込んでいても仕方ないので、今回は肩に負担のかからないクラシックのクラックルートを中心に登った。
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誰でも知っている四つ☆「小川山レイバック」
レイバックだけでなくいろんな登り方が出来るのが楽しい。

家に帰ってから、NPのメンテナンス
フォージド・フレンズはセットがシビアで怖いけど、そのぶんだけ愛着が湧いてくる。
まだまだ、活躍してくれそうだ。
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by kounoproclimb | 2007-08-21 11:14 | 日本(国内ツアー)

世界報道写真展2007

a0032559_8294750.jpg今年も梅田のハービスホールへ行ってきました。

毎日のように世界中のどこかで、軍事紛争や大災害が起こり、新聞には死者○千人とか、○万人の難民流出とか言う活字が溢れています。
TVでは、戦場の爆撃や、惨状の映像が流れていますがまるで映画やゲームの延長のようで、現実味がありません。

実際、人々の関心が集まり、声が大きくなり行動を起すようになるには、決定的瞬間を捉えた写真がメデイアに発表されてからなのです。

写真は力・・・・・

たった一枚の写真が世界を変える


今回もそれらの写真の持つ迫力に圧倒されて、はっと気が付くと並行して上演されている
短編映画「レバノン2006」を呆然と座ってみていました。(たぶん、4回ぐらい・・・・・)

世界報道写真展2007
8月23日(木)まで開催されています。
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by kounoproclimb | 2007-08-20 00:17 | その他

DRAGON

クーラーをつけてもなお30度を超える2階ボルダーのホールド換えをしました。
です。

あの赤いカンオケが龍に付いた。これでスーパードラゴン?
このネーミングはちょっと安直ですね・・・・・・・・・
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by kounoproclimb | 2007-08-08 01:05 | 仕事

家に帰ってくると「ポン・・・・ポン・・・」と腹に響く低音が聞こえる。
北と南、両方で花火が見える。
かなり距離はあるけど、音はよく聞こえるものだ。
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by kounoproclimb | 2007-08-06 00:03 | その他

感謝されない医者

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もっと自分の手足を大事にしろ
手術した患者から感謝されたことは極めて少ない。
指を切り落とされて「ありがとうございました」もないからだ。
最初は凍傷の治療に関心があったけど、もううんざりしている。

日本のほとんどの医療機関はHPをもち、その診療について情報を載せている。
私は凍傷治療の権威でも、第一人者でもない。
誰が載せたのか知らないがそう書かれたために日本全国から患者がやってくる。
そればかりでなく日本の登山者は世界中で活躍しているので、地球の裏側からでも、相談の電話が夜中でもかかってくる。
患者は医者を選べるが、医者は患者を選べない・・・・・・・

200人までは記録に残していたが、イヤになってもう数えていない。
きっと800人は優に超える凍傷患者を見てきたことになる。
私は本当に凍傷の切断手術が大嫌いだ。もうたくさんである。


作者の言葉をずっとまとめてみたが、とても辛辣な文章が並んでいる。
しかし、自身も登山家であり、34年前には、第2次RCCエベレスト登山隊にもドクターとして参加していて実は登山者への眼差しは暖かい。
それは、親交のある登山家とのインタビューを見てもすぐ分かる。
本当は「凍傷の専門家」ではなく、「災害救援医療」が専門だそうだ。
今度は『災害ドクター 世界を行く』が読みたくなった。

凍傷治療を始めて30年になる整形外科医がいる。これまで800例近い患者を診察し、いまでも年間20例以上を診察し、その数は減るどころか、増えつづけている。退院時、唯一感謝されないのが凍傷の医者。患者に「指を切られた」という意識が強いからだ。本書は、そうした患者の心理に言及しながら、凍傷の最近の治療法まで綴った、「感謝されない医者」の独白である。

目次
■はじめに
1_診療依頼
2_初めての凍傷例
3_凍傷患者騒動記
4_剱沢SOS
5_切断
6_忘れえぬ患者
  加藤保男/吉野 寛/中島俊弥/木本 哲/大場満郎/山野井泰史、妙子夫婦
7_凍傷の病態
8_山に想う

著者:金田正樹(かねだ・まさき)1946年、秋田県生まれ。1971年、岩手医科大学卒業。整形外科医として、秋田大学整形外科、関東逓信病院、聖マリアンナ医科大学東横病院を経て、現在、向島リハビリクリニックセンター長。登山は高校時代からはじめ、1969年、西部ヒンズークシュ無名峰初登頂、1970年、中部ヒンズークシュ無名峰初登頂などの記録を持ち、1973年、第2次RCCエベレスト登山隊にドクターとして参加。海外の災害救援も、1985年のメキシコ地震、1990年のアフガン紛争、1991年の湾岸戦争、1996年のバングラデシュ竜巻災害、2002年イラク戦争などの医療支援に当たる。NPO災害人道医療支援会理事。

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by kounoproclimb | 2007-08-02 20:17 | その他