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地獄谷

先週、京都一周トレイルに歩きに行って予想以上の積雪に敗退し、京都観光となりました。
雪のついた金閣寺はきれいですが、廻りはほとんど外国人

昨日は雪がないと分かっていた裏六甲へ・・・・
山頂までアイゼンなしで遡行出来ました。
でも、滑滝はパリンパリンです。
下りはアイゼンをつけて、地獄谷西尾根を下降、
もう少しで分岐というところで道を間違えてしまいました。
「道を間違えたら、正しかったところまで引き返す」という禁断の掟を破って、強引に沢をくだり
なんとか石楠花谷に合流。
日没まで、後1時間ぐらいしかなかったので、あせりました。
インストラクターが六甲山で道迷い遭難ってかっこ悪いですからね。少し反省しました。
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by kounoproclimb | 2011-01-26 10:18

Three Cups Of Tea

一杯目はよそ者   1杯目のお茶は、突然訪れた旅人のために

二杯目はお客  2杯目のお茶は、ともに力を合わせる友人のために

三杯目は家族  3杯目のお茶はずっと寄り添ってきた家族のために


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1993年秋、著者はK2登頂を目指していた。
入山して70日が過ぎ、高山病になった友人を不眠不休で救助し、パキスタン軍のヘリに引き渡したが、もう自分たちには再び山頂を目指すだけの体力が残っていないことが分かっていた。
ベースキャンプにいても一向に体力は回復せず、下山するしかなかった。
いつしか、仲間やポーターともはぐれ、道に迷い、半死半生である村にたどりつく。
そこは19世紀に戻ったような貧しくて質素な村、しかし人々は素朴で温かく、優しくもてなしてくれた。

a0032559_0523820.jpgお世話になったこの村になにか恩返しがしたい。
よく見れば子供たちは、冷たい地面にすわり、木の枝で文字を書いている。
「そうだ。ここに学校を建てよう」

しかし、飛行機を三つ乗り継ぎ地球を半周してアメリカまで帰ってくると村長との約束は、時差ぼけのせいで機内で見た映画のように現実感がなかった。
そう、彼は仕事も家もなく、ただ体が頑丈なのと真面目だけが取り柄の貧乏人だったのだから・・・・・

彼の生き様は本当に不器用だ。
仕事を失い、恋人に去られ、それでも自分の信念を見失わない。
大変な苦労の末に、やがて学校は完成する。

それだけでは、ただの美談で終わっていただろう。
この本ではまだそこまでで半分なのだ。
その先はぜひ、ご自分で読んでいただきたい。

僕は世界を震撼させた9.11以降、いろんな本を読んできた。
しかし、なにかもやもやした感はぬぐえなかったし、もどかしさを感じていたのだ。
この本のような視点ははじめてだったし、目が覚める思いがした。

たった一人の男の情熱が世界を救うのかもしれない


内容紹介
2001年9月11日、アメリカで4機の旅客機が、次々とビルに激突、または墜落した。
そのとき、敵地(アフガニスタン)にいた一人のアメリカ人青年は、世界中の"大きな誤解”に気づいていた。

全米で360万部突破。ニューヨークタイムズ・ランキング30週間1位。ベストセラーリストに154週ランクイン。
話題の感動ノンフィクションがついに上陸します。

世界一の難所とも言われる"K2”登山に失敗した一人のアメリカ人青年グレッグが、パキスタンの山間にある小さな村で助けられた。村人たちの優しさに胸を打たれた彼は、恩返しをしようと再びこの地に戻り「学校を作る」と約束する。
貧しいグレッグはアメリカ各地を奔走し、資金を
かき集めて戻った。だが保守的なイスラムの地にあって彼は異教徒だ。苦労して手に入れた学校の資材を奪われそうになったり、隣村の長老たちから恐喝されたり、タリバンに監禁されたり、
追放勧告を受けるなど、数々の困難をしいられる。それでも変わらぬグレッグの意思と愛情がイスラム社会に次々と変化を起こし、やがて彼は国中から尊敬されるようになる。そんな折に「9.11テロ」が勃発。“敵国”で活動するグレッグは突然窮地に立たされる。アメリカ中の国民がグレッグを非難、反対にイスラムの人々は必死にグレッグを守ろうとする。そのときグレッグが見つけた道とは?
内容(「BOOK」データベースより)
1993年、ひとりのアメリカ人男性がK2登山に失敗し、パキスタンの小さな山村で助けられた。村人たちの手厚いもてなしに胸を打たれた彼は、恩返しをしようと再びこの地に戻り、「女子のための学校を作る」と約束する。だが、お金もツテもない。しかもそこは女性の権利が制限され、タリバンのような過激派が勢力を広げる保守的なイスラム社会。いにかして男はこの無謀な取り組みを成功に導いたのか。全米が熱狂した真実の冒険ストーリー。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
モーテンソン,グレッグ
CAI(中央アジア協会)会長。元登山家で退院軍人でもある。毎年数ヵ月間、パキスタンとアフガニスタンで活動し、学校を建てている。モンタナで、妻と2人の子どもと共に暮らす

レーリン,デイヴィッド・オリヴァー
地球を駆けめぐって活動しているジャーナリスト。その著作や編集活動により、これまでに40以上の賞を受賞している。アイオワ大学創作科にて執筆と指導法を学び、『パレード』や『スキーイング・マガジン』に記事を寄せている。オレゴン州ポートランド在住


コルフェ村の村長ハジ・アリの言葉 (ネタばれあり)
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by kounoproclimb | 2011-01-18 22:52 | 本,雑誌

Fotgazet

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「日本ビジュアル・ジャーナリスト協会」(JVJA)がネットを使ったオンラインマガジン「Fotgazet」を無料公開している。
JVJAは、パレスチナ問題の取材で知られる武庫川女子大出身の古居みずえさんら、フリーのジャーナリストが2002年に設立。独自の発表媒体として、電子雑誌の刊行を試みることにした。
「無関心への挑戦」をキーワードに掲げ、戦争や災害を取材する協会員のグラビア写真を中心に、外部寄稿やインタビュー、コラムなどで構成予定。
創刊準備号は、佐藤文則さんによるハイチ大地震の被災地写真や、韓国人写真家 権徹さんの東京・歌舞伎町ルポなどを掲載している。
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by kounoproclimb | 2011-01-14 23:10

空白の五マイル

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学生のとき、まともに勉強してなかったので、山の名前は無駄に知っていても
世界地理にはさっぱり疎い。
しかし、今は便利になったものでWebで少し調べればたいていの事が解る。
必要、または興味が湧いたときにしっかり勉強すればいいのだと思う。
本書は、ツァンポ渓谷の歴史から時系列できっちり解説されているので、解りやすい。


探検の紀行文は、かなり作者の力量があっても、最後まで読破出来たためしがない。どうしても文章が単調になってしまうのと、小説と違い、そんなに面白いことが次から次と起こるわけがないからだ。
筆者は1998年、2002~2003年と2009年の3回、現地入りしている。
特に*2008年のチベット問題の後、無許可で潜入した第2部は圧巻である。
出来ればマスコミが誤訳したチベット暴動という言葉はそのまま使ってほしくなかったが・・・・・

この本の舞台になっているヤルツァンポ川は、ネパールの北側から始まって、チベット高原を横断しヒマラヤ山脈を大きく迂回した後180度曲がり南下、バングラデシュでガンジス川と合流し世界最大のデルタ地帯を形成し、ベンガル湾へ注ぐ河川である。

総流量はあのグランドキャニオンをつくったコロラド川の2倍、最大高低差5000Mの谷にインド洋の肥沃な風が流れ込むため、中国で発見されている植物の三分の二がここに集中している。
中国がここを世界最大の観光地として開発しようと企てているという噂も本当かもしれない。

ただ下の地図では、ヤルツァンポという名前は載っていない。
(この地図ではブラフマプトラ川「英名」と表記されている。ヤルツァンポはチベット名である)
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内容紹介
第8回開高健ノンフィクション賞受賞作!

チベットの奥地にツアンポー峡谷とよばれる世界最大の峡谷がある。この峡谷は一八世紀から「謎の川」と呼ばれ、長い間、探検家や登山家の挑戦の対象となってきた。チベットの母なる川であるツアンポー川は、ヒマラヤ山脈の峡谷地帯で姿を消した後いったいどこに流れるのか、昔はそれが分からなかった。その謎が解かれた後もツアンポー峡谷の奥地には巨大な滝があると噂され、その伝説に魅せられた多くの探検家が、この場所に足を運んだ。

早稲田大学探検部に所属していた私は大学四年生の時、たまたま手に取った一冊の本がきっかけでこの峡谷の存在を知った。そして一九二四年に英国のフランク・キングドン=ウオードによる探検以降、ツアンポー峡谷に残された地理的空白部の踏査が一向に進んでいないことを知った。キングドン=ウオードの探検はほとんど完璧に近く、彼の探検によりこの峡谷部に残された空白部はもはや五マイル、約八キロしかないといわれていた。しかし残されたこの五マイルに、ひょっとしたら幻とされた大滝が実在するかもしれない。キングドン=ウオードの残したこの「空白の五マイル」は、探検が探検であった時代の舞台が現代まで残されている、おそらく世界で最後の場所だった。私は空白の五マイルを含めたツアンポー峡谷の核心部をすべて探検しようと心に決め、一九九八年に部の仲間と一緒にツアンポー峡谷に向かった。

空白の五マイルを目指した探検家は私だけではなかった。とりわけ米国の探検家たちは一九九〇年代以降、精力的にツアンポー峡谷に足を運び成果をあげてきた。一九九八年には探検家イアン・ベイカーの隊が、ある大きな発見も成し遂げていた。米国の探検家に後れをとった私は二〇〇二年冬、もう一度ツアンポー峡谷を目指すことに決めた。米国の探検家も行けなかった空白部の最も奥地に入りこもうと思ったのだ。しかも今度は無許可、おまけに単独だった。この旅で私は何度か危うく死にそうな目にあったが、それでも執拗に峡谷の奥地に何度も足をのばし、伝説的未探検地とよばれた空白の五マイルのほとんどを踏査することに成功した。

それから七年が経った二〇〇九年冬、私は再びツアンポー峡谷を目指すことにした。まだやり残したことがある、そう思い、私は前年に新聞社を辞め、自らの人生を賭けた探検に出発した。しかし現地に入ると七年前には考えられなかったことが次々とおこり、旅はいささかスリリングなものとなった。
内容(「BOOK」データベースより)

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by kounoproclimb | 2011-01-14 17:40

あけましておめでとうございます

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このモニュメントは荒巻公園で撮影・・・・
3本の柱は自由、平等、人類愛をあらわしているそうです。
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by kounoproclimb | 2011-01-04 11:21

百年前の山を旅する

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最近、服部文祥氏の本にはまっている。
先月、情熱大陸の放送のときに紹介した「狩猟サバイバル」をはじめ、サバイバルシリーズとは
少し趣が違う本書は短編集です。

現代の登山装備に頼らず ハンテン、股引、脚絆にわらじという出で立ちで挑戦するのは、田部重治、木暮理太郎、ウォルター・ウェストン、上条嘉門次、上田哲農など・・・・日本の登山黎明期の登山家たちの足跡をたどる旅・・・・

軽妙な文章と挿入されている写真も味があっていいところに目をつけたなあ・・・
軽快に読みすすむが、著者も書いている通り、
ビジュアルに凝っている今回の登山スタイルはなんか中途半端やな…という感じは否めない。

が、後半になってサバイバル登山家の本領を発揮する秀逸な山行記録が出てきた。
黒部の奥山廻りである。

一昨年の秋、宇奈月温泉を訪れた時、黒部電気記念館で僕も奥山廻りの資料を見た。
この古地図が公開されたのはつい最近になってからだ。
その理由は
1.奥山廻りが「親兄弟にも話さないこと」という極秘任務だった。
2.古地図や古文書を手に入れた歴史家がそれらを表に出さなかったため
3.そのような郷土史家が老齢化し、ようやく近年になって蔵から資料が見つかった

奥山廻りのルートは現在の登山道とほとんどかぶっていない。
黒部川支谷の険悪さは、山をよく知る人ほど絶望的な難しさである。
現代の装備、技術をもってしても第一級の登攀の険谷を200年前の人たちが何の装備もなく、
行き来していたとは想像すらできない。

服部氏に続いてこのルートをトレースする登山家はこれからもそんなに出てこないだろう。
完全に当時の踏み跡が消失している現代では、彼のような才能がなければほぼ不可能に思える。
現代でも視点を変えればこんな素晴らしい探検ができる。
素敵な紀行文を読ませてもらった。

*残念なことに立山資料館の奥山廻りパンフレットは絶版になっているそうだ。


目次
奥多摩・笹尾根縦走 100年前の装備で山に入る
奥秩父・笛吹川東沢遡行 日本に沢登りが生まれた日
北アルプス・奥穂高岳南稜登攀 ウェストンの初登攀をたどる
若狭~京都北山・小浜街道針畑越 鯖街道を一昼夜で駆け抜ける
北アルプス・白馬岳主稜登攀 「ある登攀」を追いかけて
北アルプス・小川温泉~鹿島槍ヶ岳 黒部奥山廻りの失われた道
鹿島槍ヶ岳北壁登攀~八峰キレット縦走 火を持ち歩くということ
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by kounoproclimb | 2011-01-01 18:39