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もうひとつの・・・・・・

もうひとつの・・・・・・_a0032559_1558678.jpgこの本のタイトルを最初見たとき、全然興味がなかった。
たぶん、映画の宣伝&よいしょ本だと思ったからだ。
雑誌で、新田次郎氏の娘である藤原咲子さんの書評を読んでから気が変わった。
とはいっても、最初から三分の一は映画礼讃と俳優紹介、巻末には剣岳のガイドブックと実質的には読み応えのあるところは半分ぐらいしかない。

剱岳
剱という漢字には異形字が多くて、普通に変換すると当用漢字の剣になってしまう。
こんなことが気になるのは僕ぐらいだろうなあ・・・・・
それと標高がこの何十年かの間に何回も変わっていたことも驚きである。
ちなみに僕は2998Mで覚えていた。
現在は2999m、GPS測量にて・・・

宇治長次郎の謎と疑問
僕が何冊か所有している剣岳関連の古い文献には、初登頂者に宇治長次郎の名前はない。
「剣岳点の記」は新田次郎氏の晩年最後の作品(昭和52年)で、それまで剣岳の登頂の真相はあまり語られてこなかったからだ。
新田氏は「剣岳点の記」だけにかかわらず、綿密な調査と膨大な資料を収集して正確に書き上げる作家として有名だ。
だからこそ、文学作品にもかかわらず今では多くの人が長次郎の初登頂の事実を信じて疑わない。
柴崎芳太郎氏は剣岳に関する文章を後世に残していないので長次郎が測量に参加していたかどうかすら確定できない。それどころか晩年、長次郎について聞かれたときもそんな人物は知らないと答えている。
いろいろ調べれば調べるほど、謎は深まるばかりだ・・・・
もし、長次郎と柴崎の間に信仰と考え方の相違で、行き違いと深い溝があったとしたら・・・・・・
すっきりとはしないが、五十嶋さんの時代考察は納得できるものだった。

小島烏水
ところであの映画のラストシーンは監督のほんの思いつきで決まったらしい(笑)
原作を愛し、史実を調べればああいう人物描写には決してならないと思うのだが・・・・・

彼は日本山岳史においてあまりにも有名(日本山岳会の創設者)なので、原作以上に映画に利用されたわけだが、
本人は暇をもてあましたお金持ちの息子ではなくて横浜の銀行員だった。
まとまった休暇は年一回だけで、中部山岳地帯に数々の足跡を残している。
もちろん、剱岳に登った記録はない。

目次
第1章
映画『劔岳 点の記』の魅力(映画『劔岳 点の記』カラーグラフ/剱岳周辺地図 ほか)/
第2章
原作『劔岳 点の記』から生まれたもの(父・新田次郎と『劔岳 点の記』/三十年前に作られた山岳映画『剱岳への道』)/
第3章
測量登山と「点の記」(測量隊の仕事/測量後日談としての剱岳点の記)/
第4章
登山史のなかの剱岳(剱岳測量登山の謎─長次郎を巡る疑問/小島烏水のこと─山岳会創立と剱岳の登場 ほか)/
第5章
剱岳のすべて(カラーグラフ剱岳の四季/剱岳完全ガイド)

by kounoproclimb | 2009-09-14 15:58
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