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香港最前線ルポ1~4

大袈裟太郎的香港最前線ルポ❶
2019.6.12
僕が香港空港に着いた頃、すでに交通は麻痺しており、市民の包囲している立法会がある香港島までの交通手段は鉄道のみだった。
混沌の中を鉄道は香港駅に滑り込む。
午後3時過ぎだったか、疲れ切った表情の黒ずくめの若者たちが香港駅構内に座り込んでいた。
JAPANESE PRESSと手書きで書かれた僕の背中を見て、彼らが次々に親指を立てる。
香港警察はすでに立法会のある金鐘、中環、香港駅と地下鉄で3駅分、市民たちを排除し押し返していた。
警官隊の手に銃が見える。
沖縄でいつもそうしているように、警官の表情をひとりひとり撮ろうとすると、ある警官は僕を睨みながら、その警棒で自らの脚のプロテクターをバシバシと叩いて威嚇した。
いつでも殴りつけてやるぞ、という闇雲な暴力性を感じた。
青い警官隊とさらに黒い警官隊がいて、そちらはさらに重武装していた、のちに大陸から来た軍人であるとの説が出るのがこの警官隊だ。
一方の、市民たちはマスクとゴーグルだけはしているものの、
たいていTシャツやショートパンツの軽装で、
観覧車が見えることもあり、お台場にデートに来たカップルのようにさえ見えた。
その無防備さが、この現状の悲劇性、異常性をより強いものにした。
立法会近くの坂の上から警官隊の催涙弾が放たれた。
群衆がこちらへ向かい走り逃げ惑う。
実にこの日撃たれた催涙弾は150発、水平射撃やゴム弾の顔面への射撃もおこなわれた。
香港警察はそれらを放ちながらジリジリと市民を後退させた。
その後退は同時に香港の民主主義の後退でもあった。

市民たちはあきらかに若者が中心で、何人かの年齢を聞くと、15歳という。
まだ中学生なのだ。
あどけない少年少女たちが、民主主義のために催涙弾を避けて走り回っていた。「Hongkong police is crazy!」と叫びながら。

逃げ惑う群衆に逆らい最前線に近づくと、僕も催涙ガスを浴びてしまった。
煙っていない場所だったが、その威力は目にも見えないのだ。
まず匂い、そして目、さらに喉。
眼と鼻と口から、同時に激痛が走り、呼吸が困難になる。
一瞬で人間をパニックに落とし入れる最悪なガスだ。
嗚咽している僕に若者たちは駆け寄り、水を飲ませ、目薬をくれた。
なんとも爽やかな青年たちだった。
人権を守ること、それは人間ひとりひとりを大切にするかどうかであって、机上の空論ではなく些細な行動に現れる。
辺野古ゲート前でもいつも感じることだ。
そんな彼らを僕は一瞬で信頼した。

救護班が塩水でうがいさせてくれた。
ちゃんとゴーグルとマスクをしようね。と僕に語りかける少女たちもまた15歳だった。

警察が催涙弾を撃ちながら、徐々に近づいてくる。
「逃げよう」と少女は言った。
今、東アジアの民主主義の最前線で中学生が走り回っている。
この事実は、大人たちの失敗を僕に強く印象付けた。

日が暮れると、会社帰りの者や作業着姿の者も多く合流し、
市民側の数が圧倒的に膨れ上がった。
膠着状態に入った。

警察もこれ以上は手が出せないようだ。

隣で建設中の高層ビルの足場に香港特有の竹が使われていた。
元とび職としても驚いたが、市民たちはその資材を器用に使いバリケードを築き始めた。

香港を象徴する摩天楼の圧倒的なきらめきのなかで、
市民と香港警察は50mの距離を取り、対峙していた。
美しさとやさしさと、時折混じる異様な暴力。
映画よリも映画的な光景の中に、僕は放り出されてしまった。

周囲では疲れ果てた黒づくめの若者たちが路上に寝転がり始めた。
僕を見つけると市民たちは次々に声をかけた、
「しっかり伝えてください!頑張ろう!
日本からありがとう!沖縄は海の美しいところですね!
世界にこの現状を伝えてください。」

民主主義を守りたい、人々の自由を守りたい。
香港の未来を守りたい。
彼らのまっすぐな瞳が僕に勇気をくれた。
「君たちは勇者だ。
そしておれたちは東アジアの兄弟姉妹だ。
君たちが確実にしあわせになれる世界をおれは約束する。
僕らの運命はひとつだ。」

僕は彼らとがっちり握手を交わし、コンクリートの上に座り込んだ。

その日は夜が明け近くまで、香港警察との対峙が続いた。
70名以上の重軽傷者と11名の逮捕者を出し、
のちにこの日は「香港の最も暗い日」と名付けられることとなる。

香港行政府はこの日の市民の行動を暴動と認定したが、
これは暴動ではなかったと、自分も市民たちと意を共にする。
もちろんレンガでの投石などがあったとの目撃証言もあるが、
商店への襲撃や略奪、車の炎上など、他の暴動にある過剰な騒乱は一切なかったのだ。
権力に対してのみストレートに異を唱え向かっていく。
そう、彼らは決して暴徒ではなかった。
知的な集合体だったのだ。
平和的な暴動として名高い、沖縄のあのコザ暴動よりもさらに平和的であったはずだ。

香港の若者たちのこの驚くほど純粋な行動がのちの成果につながることを、
この日はまだ誰も知る由もなかった。

※100万人デモから200万人デモ、そして法案の事実上の撤回に至る香港の煮えたぎる一週間を振り返っていきます。

大袈裟太郎的香港最前線ルポ❷
2019.6.13「その日への胎動 SNSが市民を強くする」
13日、香港は朝から大雨だった。昨日の喧騒が嘘のようにバリケードも早朝に撤去され、案外あっさりと交通も回復していた。2014年の雨傘運動の時、オキュパイドが長引き地元の商店から苦情が出たことから抗議者側も学んだのかもしれない。
残されたのは昨日のカオスが産んだ大量のゴミだったが、若者たちは淡々とそのゴミを片付け、まだ使えるヘルメットやゴーグルをより分けていた。

立法会周辺は警察が完全に封鎖し厳しく規制していた。
沖縄から駆けつけた友人のジャーナリスト、LEEJと合流。
数カ国語を操る彼にはその後、何度も助けられることとなった。

午前、立法会へ向かう立体回廊では、バリケードを挟んで市民と警察隊の対峙が続いていた。
当然のように警察隊の手には銃があった。

この日も立法会の審議は中止になったが、現場は一触即発という雰囲気だった。
審議中止を受けて日本の虎ノ門系似非保守たちが「よくやった!」などとSNSで宣ったが、こっちじゃ催涙弾を避けながら中学生が走り回っているのだ。
中国が攻めてくるなどと普段、威勢良く叫んでいる彼らが、実際にはいかに役に立たない机上の存在なのか。
危機を煽ることをビジネスにしている卑小な存在か、身体で痛感した。
「大袈裟太郎を見直した」などという言説も何とも空虚で、吐き気がした。
「きみらがおれを見直そうがどうしようが、おれはとっくにきみらを見放しているよ」と叫びたくなった。
まして、私の行動は沖縄でしていることと何も変わらないのだ。
いつも辺野古の座り込みに「道交法違反だ」などと言っている連中が、抗議の相手が中国になった途端、全てを賞賛する。
ダブルスタンダード極まれりだ。
二枚舌もほどほどにしろ。

右か左かで考える時代はもうとっくに終わっている。
大国の権力か個人の権利か、の時代なのだ。
あの催涙弾の匂いを嗅げば、一瞬で気づくはずだ。

LEEJと駄目元で香港外国人記者クラブの門を叩き、過去の記事や資料などを提出し、どうにかこうにか会員入りを許可された。
この会員証はプロテスターが入れない場所へ入れるメディアパスになっていて、以降、取材の幅が大きく広がることとなった。

また、この3年間、高江、辺野古で「お前はメディアじゃない!」と沖縄県警東浜警視に名指しされながら散々、排除されてきた僕にとっても、「日本は私を認めなかったが、世界は私を認めた。」
というような肯定感になり、強く僕を鼓舞した。
日本の警察にかけられた「呪いの言葉」を香港外国人記者クラブが解いてくれたのだった。

外国人記者クラブの中は、極東の言論の自由を守ってきたという伝統と誇りにあふれていた。壁にはベトナム戦争や天安門事件の写真が並んでいた。僕らが教科書で見てきた歴史的な写真たちも多くはここから配信されたものなのだった。
世界的なメディアの部長クラスが仕立てのいいジャケットに身を包み優雅にランチを嗜むなか、僕らだけは半ズボンだったため、ドレスコードに引っかかり、地下と2階のレストランには最後まで入ることができなかった。笑

まあ、上等上等と、LEEJと笑いあった。
ここのWIFIが圧倒的に盤石だったことで、悩んでいたネット回線問題が一気に解決したのだ。
SNSのタイムラインで情報収集。
昨日の香港警察による蛮行の数々が、市井の民の手によって次々に明らかになってく。映像で可視化されてくる。
武警による市民への圧倒的なリンチ。催涙弾の水平射撃。
顔面に至近距離からゴム弾を発射され、血を流す市民もいた。
80名以上が負傷し、11人が逮捕された。
病院で逮捕された市民もいた。
150発の催涙弾が使用され、メディアも容赦なく撃たれた。
自分も一歩間違えば、、、という戦慄に震えた。
たまたま自分の居たブロックが大丈夫だっただけなのだ。

そして香港当局が昨日の市民の行動を暴動と認定したこと、
さらには警察側の正当防衛を主張したことを知った。
香港警察はさらに態度を強固なものにすることが予想された。

シェルターのような外国人記者クラブを出て、
暗澹たる気分で再び立法会への回廊に戻る。

さっきより張り紙が爆発的に増えていた。

そして人混みの中に入ると、僕のiphoneに次々にairdropで次のデモの予定が送られてきた。
驚いた、何と先進的なことか、彼らは最新のテクノロジーを手足のように使い、この抵抗を盛り立てているのだ。

バリケードを挟み警官隊と対峙する市民も昼間より4倍か5倍に増えていた。
手には「stop shooting people」などの文字が掲げられていた。
皆で、エンドレスで賛美歌を歌っていた。
泣きながら歌う者もいた。

マイナーコードが物悲しく響く、悲痛なメロディだった。
「今まで、警察はこんなことしなかったじゃないか?なぜ?」
香港の中国化を憂うそんな切実な嘆きを僕はこの歌から感じとった。
動画
https://www.facebook.com/…/pcb.219348693…/2193469217395898/…

この日から抗議の内容は廃案に加え、香港警察の暴力への追求を
併せたものに変化してゆく。
SNSで駆け巡った昨日の香港警察の暴力性が、香港市民の危機感によりいっそうの火をつけたのだ。

「弾圧は抵抗を呼び、抵抗は友を呼ぶ」
という沖縄の不屈の英雄、瀬長亀次郎氏の言葉を想い起こさずにはいられなかった。50年余の時を経て、今、2019年の香港で彼の言葉は何よりリアルだった。

より強い抵抗を決意した香港市民たちと、強行姿勢を変えぬ香港警察。
さらなる激化が予想される次の日曜のデモで、
僕は何を見るのだろう?
果たしてその勇気があるだろうか?
これ以上、誰も傷つかず、
血を流さずに彼らの自由を守る方法はないのだろうか、、、

追い詰められた彼ら彼女らの悲痛な表情とメロディが、
ホテルで眼を閉じてもずっと頭の中にこびりついて離れなかった。

僕は最悪の事態に備え、自分の位置情報が常にわかるようにLEEJと、沖縄にいる数名の友人たちにシェアした。

SNSの心もとない命綱を、僕はこの夜、香港から沖縄へつなげたのだった。

#反送中 #香港 #hongkong #NoExtradictionToChina #HongKongProtests

大袈裟太郎的香港最前線ルポ❸
2019.6.14「香港と沖縄のデジャヴ」
前回のルポは私が沖縄の友人たちへ位置情報を共有するところで終わったが、実はそれにも迷いがあった。香港市民たちはすでにデジタルの次の世界へ足を踏み入れていたからだ。

市民たちは自分の位置情報が当局に把握されることを警戒し、電子決済をやめ現金を持ち、オクトパースカード(JRでいうsuika)も使わず切符で地下鉄に乗った。
SNSやairdropなどの最先端のテクノロジーを使いこなした果てで、市民たちは唐突にアナログに回帰せざるを得なくなったのだ。
ともすれば全てを為政者に監視されかねない現代の生活様式の脆弱性を突きつけられた。
(ちなみに彼らの情報共有はtelegramなどの高度に暗号化されたメッセージアプリが使用された)
また写真撮影にも彼らはかなり怯えていた。回廊付近で撮影していた僕に女子中高生ふたり組が駆け寄ってきて、「今、撮った写真を見せてほしい、消してほしい」と泣きつかれたこともある。
「顔は見えないように撮ったよ?」と聞くと「それでも消してほしい、中国の特定システムは恐ろしいから」と言われたので、OK Im so sorryと消そうとすると、その少女たちがおれの記者証を見つけて、「日本から来たの?消さなくてもいいです。そのかわり今の香港のことを日本の人にたくさん届けてほしい」
と懇願された。あの震える声の切実さが、今も僕を突き動かし続けている。

14日、緊張状態は続くものの、街は表面的な平穏を取り戻していた。
僕は朝から脚がパンパンに腫れていて、ひきづりながらゆっくり歩くしかできなかった。
香港のアスファルトは日本比べて硬いからだとの噂も聞いたが本当かどうかはよくわからない。まあ、いずれにせよ歩きすぎだ。
あと2日に迫った「その日」に備えるため、LEEJとガスマスクを買いに行った。
湾仔という地区であっさり手に入った。それもSNSで呼びかけて集まった情報のおかげだった。
道具街には黒ずくめの若者たちの姿もあり、マスク、ゴーグル、ヘルメットなどを真剣な眼差しで選んでいた。
彼らもまた「その日」に備えているのだ。

「反対派ばかりではなく、賛成派の声も聞け」沖縄にいると常にネットに寄せられるこの手のリプライが、香港では一切来ないことに気づいた。やはり日頃、ウヨ様諸君が言っている「公平性」など単なる欺瞞に過ぎなかったようだ。

それでもやはり、沖縄でもそうしているように、法案に賛成している人の意見を聞きたいと思い、街を歩いた。

タクシードライバーの60代の男性は、ゴリゴリの法案賛成派だった。「中国政府はこの20年で経済を大発展させた。すごいじゃないか!昔はみんなろくに飯も食えなかったんだ。今の中国のシステムは良いよ。多少、自由が減っても、経済が発展すればいいいじゃないか。私は中国政府は怖くない。怖いのは今の香港の若者だ。こないだのデモ?100万人とかいうけど、マスコミは偏ってるんだよ。本当は50万人ぐらいしかいなかったはずだ」

「いや、50万人でもすごいだろ、、」と心の中でツッコミながら、僕が感じたのは圧倒的なデジャブ感だった。
人権か経済かで民を分断する点、
反対陣営を危険とする点、
マスコミはデモの参加人数をごまかしているという主張。

すべて沖縄で聞いたことのある話ばかりだった。
なぜここまで?同じなのだろう、、、
迷宮に迷い込んだはずが、そこは慣れ親しんだ迷宮だったのか?
僕は面を食らった、、、

別の男性にも話を聞いた。
彼も60代、職業は不詳。
彼は賛成派ではないが、事実上の容認派だった。
「NO good 法案は良いとは思えないけど、中国政府に逆らうと香港は損をする」

これも沖縄で聞く辺野古容認派の意見とかなり重なって見えた。
さらには、街やネットの噂レベルでは、デモに参加すると日当がもらえる。というものや、CIAがこのデモのバックにいるというものもあった。

まったく同じだ、、、
アメリカと中国を置き換えただけで、
今、香港を取り巻くものと沖縄を取り巻くものは、細部まで酷似していた。
マニュアルがあるのでは?そんな憶測が頭をよぎった。
それは大国が小国を支配するためのマニュアルであり、
国家が市民を抑え込むためのマニュアルだ。

しかしまさかアメリカと中国は同じマニュアルを共有しないだろう??
旧西側陣営と旧東側陣営が同じマニュアルを共有するわけがない、、、??
いや、、、もはや中国は共産主義国では、ないのかもしれない、、、

先ほどの、親中派香港人たちの話を思い出してほしい。
彼らが語ったのは、人権よりも経済競争優先、勝つか負けるか、自己責任の世界。
日本に置き換えると竹中平蔵や維新議員たちの主張と符合するのではないか?
中国はもう共産主義でもなければ、左でもない。
民主主義を経ずに資本主義を導入した、
一党独裁型新自由主義国家なのではないだろうか、、、、

その考えに行き着くと、鳥肌がたった。
記者クラブの空調のせいではないだろう。
今までの固定観念が、一瞬で崩れていくのを感じた。
日本で右だ左だなどと罵り合っていることこそが、何ひとつ価値のないオママゴトだった。
世界はもう、とっくに右か左かではなく、
大国の権力か個人の権利か、のフェーズに入っているのだと実感した。
そしてこの闘いは自治のための闘いなのだ。
「香港の未来は香港人が決める」
そのヴィジョンを香港では「民主自決」と呼ぶと知った時、震えた。
「沖縄の未来はウチナーンチュが決める」
そのヴィジョンを沖縄では「民族自決」と呼ぶのである。
ここまで一致することに打ち震えたんだ。

僕の中で沖縄と香港は完全につながった。
これは、個人の自由や権利、そして自治を、大国に奪われないための闘いなのだ。
アイデンティティを守る闘いなのだ。

そして、僕はたとえ相手がアメリカであろうと、中国だろうと、日本だろうと、個人の権利対国家の権力ならば、常に個人たちの側に在り続けることを肚に決めたのだった。

香港警察の横で30名前後の小規模な集会に出くわした。
なんとなく怪しい匂いがしたので近づくと、条例案賛成側の集会だった。「香港工商総会」という団体が、警察署に「暴徒鎮圧おつかれ様です」的な花を寄贈するのだ。
ああ、沖縄でもいるね、、、反反基地運動「警察、米軍お疲れ様」的な人々、、、中国バンザイ勢と日本バンザイ勢、両者は明らかに似た雰囲気を醸し出していた。両者は大国におもねる国家主義者。一見、対立する存在のように見えて、その実、最も親和性が高いように思う。

そこを切り裂くように、ひとりの若い女性が親指を下げながら通り過ぎた。黒いワンピースのなんともかっこ良い後ろ姿だった。
これは圧倒的な世代間闘争でもあるのかもしれない。

デモを主催した若者たちは、この日、香港警察へ赴き、12日の暴動認定の取り消しと、警察の暴力の謝罪、逮捕された11名の釈放を要求したが、交渉は決裂、香港警察はゼロ回答だった。
火がつきそうな対立はいまだに続いていた。

香港立法会への立体回廊にはこの夜も切ないメロディアが響いていた。近くのケンタッキーは黒い若者で埋め尽くされ、店員はものすごい勢いでチキンを揚げ続けていた。

僕はメディアパスを使い、立法会側に入り、ガンガン写真を撮りまくっていると、ものの3分で香港警察に囲まれた。
「あなたはもうenough(充分)撮影した。あなたの安全のためにここを立ち去れ」
これもまったく同じことを辺野古や高江で言われたことがあるのだった。充分かどうかはこちらが決めることだ、といつも言い返した記憶が蘇る。
危ないですよ、危ないですよ、と言いながら掌底をぶち当ててくるのも日本の警察だった。
あと、僕のゆうちょ口座が凍結された時の郵便局側のアナウンスも「あなたの安全を守るためです」だった。
この欺瞞に満ちたやり口。
やはり、市民を弾圧するためのマニュアルは、警察権力や世界の為政者の間で共有されている気がしてならない。

立法会周辺は深夜になっても、黒の若者たちが途絶えずに断続的に(ピクニック)をしていた。朝までいた者もいるだろう。
SNSに「立法会にピクニックに行こう!」とだけ書かれた暗号めいた画像が拡散されていたのだ。
これは明後日のデモに備えて警察が封鎖範囲を広げようとすれば即座に座り込むという策のように感じた。
美しい夜景とのコントラストが今夜も僕らを悲劇的な気分にさせた。

「ジュリアン・アサンジの引き渡しで香港は欧米から見放された」というウワサや、「16日は香港島自体が封鎖される」というウワサも飛び交っていた。

夜景に照らされながらLEEJが16日に関する、ある仮説を言った。
「さすが名探偵LEEJだわ。おれがプロテスターだったら絶対そうする」と僕は膝を打った。
ただ、それに警察が対策を立てないわけもないだろうとも思っていた。

せっかくだから、と乗ってみた九龍へ向かうフェリーの中で、
もう今日という日でこの世界のカレンダーが止まって、
人々は6月14日を永遠に繰り返し続ける、なんて、非現実的なことをずっと夢想していた。
それぐらい、明後日になるのが怖かった。
怖くて怖くて仕方がなかったんだ。

大袈裟太郎的香港最前線ルポ❹
2019.6.15「200万人デモ前夜 初めての死者は本当に自殺だったのか?」
朝、ホテルを出るとすでに脚が動かなくなっていた。
地下鉄の駅まで歩くこともできず、TAXIを停める手すら挙げられない状態だった。
香港のホテルに湯船がないことも原因のひとつかもしれない。予定を変えてフットマッサージ。施術してもらうと少しだけ歩けるようになった。
明日何が起こるのか、誰にも読めない状態だった。

外国人記者クラブのカフェで映像の編集作業などをしていた。
とにかく明日が来る前に、今までの写真や動画を編集しておく必要があると焦っていた。
記者たちも、さすがにその日は慌ただしく蠢めいていた。
唯一、カフェの給仕の香港紳士だけがいつも以上にゆったりと落ち着き払って、小気味良いジョークを飛ばしていた。英国仕込みの間の利いたユーモアに僕の緊張感も少しだけやわらいだ。
ここでの勤務も相当長いであろう彼は、きっと僕の気持ちなどすべてお見通しでそのようにふる舞っていたのだろう。
天安門のあの夜も、彼はきっとここで珈琲を注いでいたのかもしれない。
壁にかけられた天安門事件の写真がどうしても眼の端に入ってくる。

そう「天安門」その3文字がこの数日、誰の頭にもずっと居座っていただろう。
鉛のように重く、冷たく。
もはや、逆にその「3文字」を誰も口に出せないほど、皆、意識していた。
日本からのSNSで面識のない人間から「明日は天安門が云々」というようなリプライが来るのが正直、鬱陶しくてしょうがなかった。

実弾の届かない遠い場所から、現場にいる人間に対してよくもまあそんな雑なことを言えたもんだ。
リベラル層のこの無自覚な不遜さ、当事者性への無配慮って日本の政治参加が広がらない理由のひとつだろうと思う。

この日からホテルを現場立法会の徒歩圏に取り直した。
明日、何があってもここ集えるようにだ。
ホテルのロビーでLEEJと待ち合わせる。
「そういえば、あっちのビルの下にクッション敷いてて消防とかきてましたけど、なんか知ってます?」
「え?わかんない。火事でもあったのかな?」とその時はまだ僕らは何も知らなかった。

メキシコ訛りのスペイン語を使えるLEEJはスペインの通信社とやりとりして映像を提供していた。どうやら、香港のカメラマンたちが「仕事なんかしてる場合じゃない!」とデモに参加しているため、その手の需要が海外からあるそうだ。香港の報道はまだ実は日本より機能している感じていたが、活き活きしすぎてこんな事態も発生していた。
今の日本では考えられない話で、またひとつ固定観念が心地良くぶち壊された。

SNSに速報が入る。
15時の会見で行政長官の林鄭月娥(キャリー・ラム)が法案の延期を発表した。
一瞬は吉報かと感じたが、「独裁者に勝った!」などと喜んでいるのは日本のエセ保守層だけだったように思う。
法案延期で市民の熱を削ぐのは林鄭月娥の常套手段だそうで以前にも何度か似たようなことがあったそうだ。
まして明日のデモに参加する市民の足を止めることが狙いなのは明らかだった。
即座に民主化運動の象徴的存在、周庭(アグネス・チョウ)がデモの予定に変更がないこと、あくまで法案の撤回を求めること、林鄭月娥の辞任を求めることなどの4項目をSNSで発表した。
市民たちはファイティングポーズを一切変えなかった。

立法会への回廊では今日も、市民たちが絶え間なく賛美歌を歌っていた。
いつものAirDropに加え、明日のデモのビラを配っている女性がいた。撮影してもいいか尋ねると、彼女は顔を隠さなかった。
まっすぐな瞳の奥に、静かに燃える覚悟を見た。
明日のデモにどれだけの人が集うかが、これからの香港の分水嶺になる。
ここにいる誰もがそう考えていることが伝わってきた。

そこで沖縄からのもうひとりの友人、朝日と合流した。

彼との出会いは昨年4月、苛烈を極めた辺野古ゲート前500人行動だった。
骨折者も出した警察の排除をかいくぐり、若いウチナーンチュの青年がたったひとりで辺野古に来てシャッターを押している姿に驚いた。

沖縄と香港、共通点ばかりあげてきたが唯一真逆なのは、年齢層だ。
プロテスターの中の若者と高齢者の割合が真逆なのだ。
そんななか、若い彼の存在はとても目立っていた。

話しかけると、もともとTwitterでつながっていたそうで、ハンドルネームを言われると、ああ!きみかあ!!という感じですぐに意気投合した。

それから彼は県民投票の会で署名集めをし、デニーさんの知事選では青年局にいた。元山仁士郎のハンスト現場ではほとんど寝ずに仁士郎を支えていた。
彼の足取りは、近年の沖縄の政治運動が座り込みだけではなく、若者たちにも活動の場を広げていく過程とリンクして見えた。

頼んでいた煙草数箱を朝日から受け取った。
香港の煙草は僕には合わなかったので、あらかじめ頼んでおいたのだ。

緊張状態の異国の地で額に汗してシャッターを切る朝日の横顔に、
「どこへいくオキナワンボーイ」というコザロックの名手、知念良吉さんの名曲が浮かんだ。

折しもどこかの新聞が、「沖縄と香港の政治状況はまったく違う」というような慌てた記事を出し、ネトウヨたちは「香港はまともな選挙が行われないが沖縄では行われている」と鬼の首をとったように騒いでいた。
しかし、
沖縄で行われた選挙の結果は果たして反映されていると言えるか?
まして県民投票を阻害しようとしたのは日本政府の指示を受けた比例復活のゾンビ自民党議員だった。
そしてその県民投票の結果も無視されているじゃないか。

稲嶺進さんの名護市長選なんて人口6万人の市の選挙に首相官邸が何億もの金と人材をつぎ込んでねじ伏せたんだ。
稲嶺さんの朝のジョギングにすら、内調が尾行していたんだよ。
それが本当に民主主義の選挙か????

やはり民主主義を破壊しようとしている点で、中国政府も日本政府も同質ではないか?

さらに言えば、コリアンルーツで日本生まれ日本育ちのLEEJには、生まれてこの方、選挙権というものが与えられたことがない。
僕らと同じく定められた税金を納めているのにだ。
(いや、多分僕よりLEEJほうがたくさん税金を納めている気がする。)

香港市民たちの歌う賛美歌のなか、沖縄で出会った僕らは再会に握手した。ルパンに次元、そこに五右衛門が合流したような心強さだった。明日のことは不安で仕方なかったが、とりあえず大丈夫だ。
いや、大丈夫にしようぜ。そんな気分だった。

その時は考えもしなかったが、僕らは三者三様、異なるルーツで、まして自分だけが加害側の属性だった。
しかしながら僕らの友情こそが、今の沖縄の多様性であり寛容性の縮図のように思えた。そしてそんな僕らがこの香港、東アジアの土地で民主主義を求めて走りまわる。まさにこれから東アジアの発展の一端を担っていく沖縄を暗示する邂逅だった。
と言ったら大袈裟だろうか、汗

再会を確かめ合う僕らの元に最悪のニュースが飛び込んできた。

ビルから落ちた抗議者が死んだ。
今回の抗議活動で初めての死者だ。

さっきのビルだ、、な、、、僕はLEEJと顔を見合わせた。

「え、それって、、、」朝日が絶句している。

朝日のカメラには死の直前のその抗議者の姿が映し出されていた。
オキナワンボーイは香港に着いて、たった数時間で歴史的な瞬間をカメラに焼き付けてしまったのだった。

情報が錯綜していた。
現場は僕らのホテルから目と鼻の先の場所だった、その時間もかなり近くにいたのだ。
あれから何度も彼の死の現場に通った。
香港警察は自殺と発表したが、本当にそうだろうか?

35歳男性。その人は僕と同世代だった。
明日のデモのルートに、建設中のビルから法案反対の垂れ幕をかけようとしていたのだ。
そこに来た警察、消防ともみ合いになり落ちた。

時刻は林鄭月娥の延期会見の1時間後だった。
明日のデモを誰よりも待ち望んでいただろう。

まして、そこはビルの4階ほどの場所だ。
これだけ高層ビルがひしめく香港で、わざわざ4階から自殺する者がいるだろうか?

僕のSNSに香港市民からメッセージか寄せられた。

「香港人です。若者が柵を乗り越えて飛び降りようとした時、消防士が捕まろうとして服が脱けて、それで若者が転落したんです……
本当こんな政権のせいで……」

さらに別のツイートには、柵にしがみつく彼の姿がはっきりと写っていた。https://twitter.com/jasonyng/status/1139914117601345538

彼は最後の瞬間まで生きようとしていた。
生きようともがいていたはずだ。

そんな彼の死を自殺と片付けることは僕にはとてもできない。

香港の未来を変えようとした男が、このタイミングで死ぬはずがないんだ。

あの「3文字」がまた頭をよぎる。深い深い先の見えない霧の中へ、いよいよ歩いていくような気分だった。しかし、街は不気味なほどに静かだった。

すべては明日。明日決まる。今夜も立法会周辺にはピクニックの若者たちが集っていた。

「絶対、無理しない。熱くならない。危なくなったらすぐ逃げる」
それが僕ら3人の合言葉だった。
それはもちろん辺野古や高江で学んだことだ。

ホテルに帰ると、ツインのはずがなぜか手違いでダブルベットだった。
何でやねん!と嘆きながら朝日と男ふたり、ダブルベットで眠った。

そんなこと気にならないぐらい、すぐに眠りに落ちた。

疲れ果てていたんだ。

通信1418


by kounoproclimb | 2019-07-03 10:23